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木内幸男の嫁(妻・千代子)・子供(息子娘)は?出身校などプロフィールも!【画像】

木内幸男の若い頃の画像

高校野球の名監督、木内幸男さんが亡くなりました。

その妻についてや、出身校などプロフィールについて調べてみました

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木内幸男が死去!死因はがん

高校野球の監督としして数々のチームを優勝に導いた木内監督が亡くなりました。

木内監督の監督としての実績はあまりにも有名。

惜しまれる死となりそうです。

 高校野球で茨城の取手二高、常総学院高の監督として春1度、夏2度の甲子園大会優勝を成し遂げた木内幸男(きうち・ゆきお)さんが24日、肺がんのため死去した。89歳。

<YAHOOニュース>

死因ですが、

肺がん

ということでした。

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木内幸男の出身校・プロフィール!指導した高校名も!

高校野球の名監督として知られる木内幸男さん。

  • 土浦一高
  • 取手二高
  • 常総学院

甲子園は春7回、夏13回出場。甲子園通算成績40勝(17敗)は歴代監督として3位の成績だそうです。

この実績をもつ木内幸男さん、一体、どんなふうに生まれ育ったのでしょうか。

プロフィール

出身地 茨城県土浦市
生年月日 1931年7月12日
没年月日 2020年11月24日(89歳没)

生まれは茨城で、母校は土浦一高。

土浦一高といえば、茨城県内では県立の中では一番の難関、と呼ばれるほどの進学校です。

木内幸男さんは土浦一高で野球部に所属していました。

しかし、選手時代では甲子園に行くことは叶わなかったのです。

野球部では主将でセンターをつとめ3年生の夏は県予選で左中間の打球をあと少しでとれずに逆転負けを喫し、甲子園に行くことは出来なかった。<Wikipediaより>

その後、このことが心残りで、木内幸男さんは合格していた慶應義塾大学への進学を辞め、土浦一高でコーチとして残ることになりました。

なかなかの思い切った行動です。

しかし、その後はなかなか苦しい生活が続いていたようです。

土浦一高での指導はほとんどボランティア

監督以外の事でも拘束の多い教員の身分を嫌って待遇は用務員と変わらない職業監督の身分をあえて選んでいたが、そのため生活はかなり苦しかった。<Wikipediaより>

取手二高時代の月給は6万円程度だったとのことで、

妻・千代子さんのパートで家計を支えていたのだそうです。

木内幸男の若い頃の画像

こちらは、木内幸男さんが茨城県初の甲子園優勝を果たしたときの画像です。

木内幸男さんの若い頃の画像

優しいおじさん、という雰囲気ですね↓

木内幸男の若い頃の画像

 

 

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木内幸男の嫁(妻・千代子)・子供(息子・娘)は?

妻である千代子さんは、78歳で亡くなっています。

高校野球の強豪、常総学院高(茨城)の木内幸男監督(77)の妻、
木内千代子(きうち・ちよこ)さんが9日に感染性心内膜炎のため
死去していたことが13日、分かった。78歳だった。

木内幸男さんの1歳年上の妻だったようです。

木内幸男さんの若い頃、学校の用務員時代にお金がなかったころ、生活を支えてくれた木内千代子さん。

木内幸男さんの経歴も、この内助の功があったからできたとも言えそうですね。

お子さんなどのご家族については、公式情報として出ていませんでした。

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ネットの声

木内幸男さんが亡くなったニュースについて、ネットではさまざまな声があがっていました。

名将が亡くなったニュースに、悲しみの声が上がっていたようでした。

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まとめ

いかがでしたか?

今回は木内幸男さんの亡くなったニュースについてまとめました。

監督としての手腕はもちろん、ただ監督するだけでなく、人生を教えていたとの声も上がっていましたね。

多くの選手が木内幸男さんにさまざまなことを教わってきました。

この伝統が次の監督にも受け継がれていくのでしょうね。

ご冥福をお祈りします。

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